僧侶になったのは頭をカラッポにしたいから

私がなぜ、真言宗の僧侶になったかということを

聴かれることがあるので、

ここに書いてみたいと思います。

今年でカウンセラー歴、25年、

指導者になって、19年になります。

毎日毎日、『ことば』を使って、

考えています。

クライアントの方とお話しするときも、

その準備をするときも、

ホームページを作るときも、

企画書を書く時も。。。

『ことば』は、

時も、場所も、1人か複数化も、

全く関係なく、

いつでも、どこでも、誰とでも

頭の中に沸いています。

そう、イメージとしては、

沸いているのです。

だから、当然 いっぱいいっぱい になるときもしばしば。

いっぱいいっぱい になったとき、

人に相談したり、自分で書いてみて整理したり、

みなさんにお伝えしているようなことは、

ほぼ毎日やっていますが、

追いついていかないんです。

量と時間が多すぎて(笑)

プロだから、そんなの朝飯前にできるんじゃないの?って

思われちゃうかもしれませんが、

私たちは、カウンセリングの知識や技術をもっているので、

一般の方よりは、

出来るときが多いのは事実です。

でも、それでも追いついていかない。

自分がこのままでは、

どうにかなってしまうのではないか、

と考えているとき、

たまたま自分の身近な人が、

お寺に言ってスッキリした!!

っていうのを聞いたので、

そのお寺のホームページを観たんです。

当時、知識、技術をもう一度整理してもいいかなあと思っていたこともあって、

大学へ編入を再度して、勉強してみようとも思っていました。

ですが、

そのホームページを観たときに、見つけちゃったんです。

「あなたも、僧侶になって、自分を見つめてみませんか?」ってのを!

翌朝七時にすぐに電話して、

そのお寺にその日に行って、

話を聴きました!

というより、聴いてもらいました!

すると、

みるみるうちに、

自分の気持ちがすうっと

楽になるのが、わかりました。

そして、

そのお話の中に、

真言宗の創始者でもある、

空海の言葉がありました。

何事も空である。

あるかのようで、何もない。

自分がやってきた心理学は、

科学的に立証されているものであるけれど、

同じ精神世界を扱っている

宗教なんて、見向きもしなかったなあ。

どうせやるなら、

その「空」っていうのは、

どんなものか、学んでみよう!

そう思って、真言宗の門を叩きました。

その場で即決です。

なんか不思議な気持ちがしました。

えにし、「縁」ってのは、こんなことかもしれないなあって。

それが二年前のことです。

懐かしいですね。

あなたとも、この「縁」(えにし)でつながっているんだと思います。

それまでも、いまも、これからも。

不思議だなあっていつも思います。